「だって15ドル99セントだぜピークちゃん。」
朝、夜勤明けの身体をひきずり、やっと腰を落ち着けたデニーズの店内は、昼間の活気もなく粛々とした雰囲気に包まれていた。
ここで長居をするつもりはないと思っていたので、手前のカウンターに寄りかかろうとすると、数歩先を行く当人にこっちだよこっち、と手招きされテーブルをゆび指された。そうしてこうだ。
「あんなクソまずい料理になんでそんな金を払うんだよ〜?」
「それもう50回は聞きました。…ちがうな、聞かされた、に訂正。」
仕事でそれほど長い付き合いにはないにしろ、この顔は昔からよく知ってる。まだ自分が白い膝をむき出しにして背中を追い駆けていた時代から。
「そぅお?」
眼鏡の奥の灰色の瞳は至ってけろりとしている。「でもさあ」
まだ食い下がる。
こちらがずっとメニュー表から顔を上げないので、真剣に見ていると思われたのか(全くそんな筈はないのだが)一瞬の隙にとりあげられ、とり返そうと手を伸ばすと、すかさず手を引っ込められる。その度ジークの顔と正面から向き合うことになる。
「えー。遊びたい気分なんだ。」
「いいな、これ…。」
なにが面白いのか、理解に苦しむ。
「わたしトーストにベーコン、両面焼き目玉焼き、ブルーベリーパイとコーヒーのセット。」
「よく食べれるね、ソレ…。」
「何か問題でも?」
にっこりと少し好戦的な顔でジークを見やる。
次は誰がピークに尋問されるか。署内で誰かが言っていた台詞だ。この顔が相手の供述に一役買い、催眠術のごとく引き出すらしい。案の定、ジークは「なにも」「素適」と返すきりでぼけっとこちらを眺めている。尋問は得意なほうだ。でも今はひどく疲れている。早くベッドに身体を投げ出して泥のように眠りたい。
だから、ジークが持ち込んだ無線機から「応答せよ」という緊迫した声が聞こえてきても、完全に言葉を理解するまで数秒かかった。
思わずお互い顔を見合わせる。
わずかに身を固くし詳細を待ち受けた。
「手の空いた班は⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎230の事件に応答せよ。」
「こちら306。何があった?」
ほぼ反射的に自分が受ける。
「306へ。⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎学校の生徒から襲撃されてると通報があった。」
「銃か?」
この手の質疑応答はそんなに好きではない。正直嫌いだ。だい、だい、きらいだ。
答えを待つより先に無線機から別の声が横切った。
「620から306へ。」
聴き慣れた声はポルコからだった。
「いま現場にいる。犯人らしき複数は籠城している。ここから銃声は聞こえない。校外にいる生徒と周辺の住民がヒステリックになっている。ゾンビがどうとか…。とにかく錯乱状態だ。中との通信はとれない。
ーー
ピーク」
雑音を掻き分け、意外なほどクリアに入ってきた自分の名に、仄暗い予感がよぎった。無線を聞いているのは自分達のほかにも大勢いる。いくらなんでも判る。これは完全に私情を含む声だ。
「なに? ポッコ」
「さっきライナーのお袋さんから電話があってな。〝帰っていない〟とのことだ。」
そこで喉が鳴りそうになるのを堪え、なんとか聞いた。ジークは黙って無線機を眺めている。
「…同じ学校だ。たぶん中にいる。あのくそノロマが。」
兄貴には…と搾り出すようなポルコの声を最後に、そこでまた別の無線が入る。
「320。コード△△ に連絡済み。」
△△とは重大な部類に分類される数字だ。
「こちら306。コード△△、了解。」
通信が切れると、静かに無線機をテーブルに置いた。
「ふう。」
いま自分達がレストランに腰掛けている世界と並行している出来事とはとうてい信じられないが、これが現実なのだ。
ブラウン家とは昔から家族ぐるみの付き合いがある。ライナーは、…仲間だ。ポルコやジークにとっても同じように。みんなこの町で生まれ育った。あの学校にはベルトルト、アニもいる。安否の確認はどうなっている。もしものことがあれば。まだ傷跡の残る太腿をさりげなく摩る。
「現場へ行こう、ジーク。」
先ほどから反応がない。
「… … …どうしたの?」
「エレンの学校だ。」
「エレン? って、」
誰? 質問に答えないジークを見ながら、自分の記憶をたどる。身内、犯罪者チェックリスト、そして昔のこと。まだジークがピカピカの警察バッジをつけていた時代のことだ。「腹違いの弟がいる。」「子供の頃、野球選手になりたかった。」ーー独りごちる目の前の男の姿をピークは鮮明に思い出せる。あのときのジークにふざけた様子はなかった。そういえば、まだ髭も伸ばしてなかったな。眼鏡だって。デニーズの料理には延々と文句を垂れるのに、こういう重要なことは何ひとつ教えてくれないのだ、この男は。
「ジーク」
少し咎めるような言い方をしてしまったかもしれない。そのつもりはなかったのに。らしくない。
「ごめんなピークちゃん。」
ジークはようやく自分を取り戻したように頭を軽く揺すると「遅い朝食になりそうだね。」と言った。たしかに身に纏う表情、雰囲気はいつもに戻りつつあった。眼鏡の奥の瞳を観察しながら、本当はもっと観察したかったが、あきらめて弱々しく笑いかけることにした。
「なに、パイなしでも早死にすることはないよ。」
いま自分達のすべきことは何か一番よく分かっている。
「さすが」ジークはそこで言葉を切り、息を吸い込んだかと思えば、注文を待ちかねこちらに向かってくるウェイトレスが困惑して厨房に退却するくらい、店内に響き渡る声で「ピーク、ちゃん!!」と付け加えた。
声が大きいよ。と静かに咎めながら、ジークが手渡す前に自分のコートを掴んだ。
end